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kanackyの日記

人生なんて邯鄲の夢

サラリーマン金太郎飴

 

昨今の企業が新入社員に求める人材像として「飛び抜けた感性と実行力で即戦力になる人材」という、企業の面接でオリンピック選手選考でもしてるのか、それとも映画のヒーローでも見つけたいようなことをたまに耳にします。

 

「大学で専攻していたことが世界的に認められた」とか「子供の頃から学んでいた習い事で日本一になった」というと言い過ぎですが、そうじゃなくても「こいつは他と違う秀でたモノをもってる!」的な人とはちょっと違う才能を求められているのは間違い無くて、現在の若者は本当に大変だなぁ・・・、と思います。

 

しかし、こういった変化は時代背景に左右されているだけで企業が即戦力を欲しがるのは今も昔も同じです。

 

高度成長期からバブル崩壊前の「企業が大学生を接待してまで採用していた時代」は即戦力じゃ無くてもいいから人を増やしたい、企業で人は育てるという考え方で採用していて、 現在は「正規社員枠が激減&定員オーバーで良い大学を卒業してても採用して貰えない時代」になったので企業は立場が強くなり良い人材だけ欲しがっているって当たり前ですよね、企業が悪いわけじゃありません。

 

 

しかし、現在の日本の義務教育を見てみると、時代の変化に対応して教育現場も変わっているのかというと、私は「高度成長期と同じ」ような気がしてなりません。

 

 

今の学校教育ってどこを切っても同じ顔が出てくる「金太郎飴」のように、みんな横一列で似たような姿形をしてて、個性を引き出すというよりはむしろ「みんなと同じ顔をしてない飴は不良品」として扱っているような気がするのは私だけでしょうか?

 

ここからは個人的な妄想が一段と強まりますが、今の学校教育の基礎って高度成長期の国の政策の延長戦から抜け出てなくて、「基礎的教育を身につけ、指示されたことを確実に行える人材を育てる」教育を行うことで労働者の基礎学力を底上げし、単純労働でも確実且つ迅速に(そして長時間)働ける世界トップレベルの「サラリーマン金太郎飴」を創出するための教育であって、その枠から抜け出せないままズルズルと現在に至ってる気がしませんか?

 

 

その理由は役所(省庁)が時代変化を無視して教育方針を変えないことも大きな理由だと思いますが、私は子供を育てる大人「親」にも責任がある気がします。

 

大人として子供達に求めていることは変わってきているかも知れませんが、親として我が子への教育方針って未だに「金太郎飴こそ正義」と思っていて、幸せ=安定=良い企業=良い大学という思想はまだまだ根強く、テレビドラマ半沢直樹を観て喜んでいるくせに「あれはドラマ、あんなこと社会でやったら出世できないし、出る杭は打たれる」と子供に教えてませんか?

 

いま若者に対して個性が無いとか元気が無いとかいう大人もいるけど、そう育てているのは大人だし、他人の子供には飛び抜けた才能を求めてるくせに、自分の子供が人と違ったことをしたり奇抜なことすると怒るなんて矛盾してると思う。

 

だから現在の子供達って、社会(大人)に求められていることと、親(学校)に求められていることのギャップを実感していて、凄い困ってると思う。

 

じゃぁどういう学校教育をすれば良いかって言われても今ここで正解なんてわからない。

 

ただ、大人として「子供が社会に出たとき困らない」ための教育をするべきだと思うから社会の変化に合わせて教育も変える必要があるのは間違い無いし、そのためにも国を挙げ、大人みんなで将来を見据えた教育ができる学校に変えていって欲しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

でわでわ。