kanackyの日記

人生なんて邯鄲の夢

最後までやり遂げろの「最後」がわからない

 

子供の頃、何をやるにしても「やるなら最後までちゃんとやりなさいよ」と言われていて、そのプレッシャーが半端なかった気がする。

 

塾に行くに時も、犬を飼う時も、お年玉で何か買う時も、子供なんて別に何も考えず「友達がやってて楽しそうだから」とか「テレビで観て面白そうだから」ってぐらいの軽い気持ちで言ってるんだけど、親は(お金もかかるし)真顔で『ちゃんとやる?最後までちゃんとやるの?』って聞くから、その場の勢いだけで「やるー!ぜったいやるー!」って答えて、で、すぐに飽きて怒られた。

 

だからなのか、物心ついた時には既に途中で辞めることに罪悪感を感じていた。

 

小中学校のクラブ活動も、まだクラス全員の名前と顔が一致しない時期にちょっと見学しただけで決めさせられて、軽い気持ちで入ったら「やるからには優勝!」的な勢いでガッツリ練習させられるし、それなりに道具を親に買ってもらってるから、嫌んなって部活を辞めたらまるで人間のクズのように「あいつは根性なしだ、逃げた、最低だ!」って言われ、他の部活に移ることも許されないまま暗黒の放課後を卒業まで過ごすことになるのが怖くて辞められなかった。

 

高校生の時はその教訓を活かし適当に選んだ文系部に所属しつつ帰宅部になった。

 

そして趣味のためにバイトをはじめたら、そこはそこで卒業するまでやって当然で「高校生のくせにバイトを色々変えるなんて根性無しだ!」みたいな雰囲気があって、同じ業種ですぐ近くのお店が時給150円も高かったんだけど、それでそっちに鞍替えしちゃった友達を大人達は「あんな金だけの店に移りやがって、高校生のくせに」って罵られてて怖かった。バイトなんて時給が高い方が良いにきまってんのにって思ってたけど私は根性無しだから卒業までそこで働いてしまった。

 

就職するときだって入った会社を辞めるなんて親の脳には無かったと思うし、私も辞めるまで凄い罪悪感だった(でも辞めたらスッキリした)。

 

こうやって人生ずっと「途中で辞めるって凄い悪い事」って感覚があって、それに凄い罪悪感を持つことが多かったし、なによりこのままやり続けた先の「最後」ってのはどこか全然わかんなかったからとりあえず続けては辞めた。

 

子供の頃の習い事も「卒業するから」ってタイミングでなんとなく辞めて、部活もバイトも同じく卒業のタイミングでなんとなく辞めて、やり遂げた達成感ってのがあまり無くてそれらの「最後」ってのがどこかわからなくてモヤモヤしてた。

 

今考えると「怒られず辞めれて良かったな」っていう感覚が一番強くて、結局の所「最後」は未だによくわからないし、今じゃもうそんなの無いと思ってる。

 

こうやって「最後までやり続ける」をずっと続けてると「やり始めたことは絶対に途中で辞められない、それは逃げだ、それは人としてクズだ」って自分に凄いプレッシャーになってしまって、いい大人になったときに初めてその緊張の糸がプツッと切れちゃうと、もう元には戻れないぐらいの半端ない挫折感を味わっちゃって再起不能になるから、それで鬱病とか自殺とかしちゃう人が多い気がする。

 

もちろん、なんでもかんでもやっては飽きたり、やるべきコトを途中で辞めたりしてたら協調性無さ過ぎで駄目なんだけど、「最後」なんてないから良い塩梅のところで辞めていいと思うし、そういう「最後までやらなくていい」って感覚は大切だと思う

 

だから、子供の頃はなんでも手当たり次第にやっては辞めて「最後までやり遂げなくても良い」って方が子供の可能性が広がると思うし、「途中で放棄することで後悔したり挫折する」ってのは親が側にいる間に教えてあげたほうがいいんじゃないかと思う

 

 

 

 

 

 

 

でわでわ。