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kanackyの日記

人生なんて邯鄲の夢

考えれば考えるほど身近なもは見えてなかった日々

 

「灯台もと暗し」という言葉があります。

 

私が子供の頃にやったカルタの絵には、岬の上にあるあの「灯台」が画かれていたので、てっきりその灯台かとおもってましたがググってみると違いました。ろうそくも無い古い時代の上に油皿をのせて芯をたてて灯りを灯すあれです。

 

意味は岬のだろうが油皿のだろうが似ていて、遠くは明るく照らすけど自分の足下には灯りが無い=「自分の近くにあるものほどわかりにくい」という意味ですので間違ってはいないようで、現代においてはどっちでもいいようです。

 

最近、私自身が「自分のやりたいこと、やるべきこと」を決断して身の振り方を考えようとしているのですが、それを考えて考えてこの1年半ほど考えまくった後に気がついたのは、この「灯台もと暗し」という言葉でした。

 

自分は何が好きなんだろうか、何ができるんだろうか?

 

周りは自分に何を期待しているんだろうか?

 

世の中、世界は、日本は今どう動いているんだろうか?

 

親や家族にとって最善の選択とはなんだろうか?

 

そして人生とはなんだろうか、生きるとはなんだろうか?

 

 

とまぁ、いろいろと考えるわけですけど実はそんなことをいくら考えても答えは無いし、遠くを見すぎてるから一歩先にある小石にもビビッて動けていない自分に気が今います。

 

ふと足下を見てみると気がつく。

 

「あれ?思ったより歩き出すことは簡単だったんだ」って。

 

遠くが見えなくなってもかまわない、とりあえず一歩だけ歩いてみる。

 

 

すると、周りからは「無計画だ」「自分勝手だ」と罵る人もいる、でも、その一歩先には応援してくれる人がもっといる。「そうだよ、止まってたら駄目だよ、はやくこっちにおいでよ~」って。だからもう一歩足を出してみる、すると後ろから聞こえる声なんて聞こえなくなってくる。

 

ふと見上げると景色は全然変わってない、でも、自分が立っている場所は変わってるし変わりの環境も変わってる。良い事もあれば、悪い事もある、でも、それで良いような気がする。

 

何かを捨てなきゃ一歩を踏み出せないとしたら捨てれば良い、捨てる神あれば拾う神あり、この先にもっと素敵な神がいるに違いない、そうおもう今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

でわでわ。