kanackyの日記

人生なんて邯鄲の夢

変化を相手に求めない生き方

 

本州では大雪だったらしいですね。

 

これで老人が選挙に行けない、なんてことは無く親の敵のように行くんでしょうが「ネット選挙できるようになったら若者の投票率が増える」というのは実は逆で、「家で寝てる老人が投票できる」もしくは「寝たきり、呆けてる、最悪は死んでることを隠してる老人」の投票も増えるんだろうなと気がついた都知事選。

 

どうなるんですかね?個人的には家入さんが都知事にになって欲しいですね、投票権ないけど…。

 

 

さて本題、最近ずっと鬱陶しくて嫌いな人(50代男性)がいるのですが、もうとにかく嫌いなんです。でも大人だし、そういう態度は良くないなと思うので優しく接してると調子にのってどんどん態度が悪くなってきて我慢できなくなりました。

 

私は優しくないし、心も狭いので、自分の「ここまでは良いけど、これを越えたら駄目」っていう一線を越えた人には改善を求めたりせず「申し訳無いけど貴方と共にする時間が無駄だから、私はあなたとの縁を切るから後はご勝手に」となる。

 

というのも、私は自分とその人(もしくはその他数名)の関係のために相手に変わって欲しいなんてんはエゴだと思うのです。そうじゃなくて、まず自分が変わるのが基本であって、それでも友達、仲間、チームとしての距離感が保てないなら最悪の覚悟で切り捨てる、もしくは自分が去るしかない。これは家族でもなんでもそうなんじゃないかと思うんです。

 

 

世の中には『誰にでも好かれたい、だけど、いまの自分を愛してほしい』と言って、自分が嫌われると相手が悪いことにして自己肯定をしたり、仲間を集めて相手をイジメるタイプが少なからずいて、そうやって弱い自分を守るために相手を傷つける人が結構いる気がします。

 

それはネット中傷とか、テレビやCMへの抗議とか、あらゆる場合も同様で自己肯定のための否定を繰り返し、自分が多数派であり正義の味方であることを保持するために群れる、そういう人。

 

自分が獅子だとは思いませんが、自分の身を守るために相手に何か求めるのではなく、自分や仲間の身を守るためには自分が変わる、そういう強い心をもっと持ちたいし、そういう考え方ができる社会になっていって欲しいなと思う今日この頃です。

 

まぁ、当たり前のことなんですけどね。でも、今の日本ってそうじゃない気がします。

 

 

 

 

 

でわでわ。