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kanackyの日記

人生なんて邯鄲の夢

「ピーマンは嫌い」じゃなく「このピーマンは嫌い」と言いたい

 

仕事を言い訳になにかを辞めるなんて最低な大人だと思っていた私は、仕事を言い訳に日記かいてませんでした・・・、ってことで久々に書きます。

 

わたしは子供の頃はピーマンが嫌いでした。 

 

噛んでもただただ苦い、へんな汁がでる、あの緑の物体は間違い無く食い物じゃ無いと思っていましたが歳を取るにつれて食べられるようになったのは、体質が変わったから、なのかもしれませんが「美味しいピーマンもある」ということにきがついたような気もします。

 

よくかんがえれば、世の中には美味しいピーマンもあれば、美味しく無いピーマンもある。そんな当たり前のことなんだけど、勝手に「ピーマンが嫌い」という、自分勝手なカテゴリー分類別けによって「ピーマン」を一括りに判断しているのは、ちょっと変だったのかなという気がする今日この頃。

 

話し飛びますが、高所恐怖症の人がエスカレーターを下ることすら怖いらしい。

ビルの5階も窓から顔をだして下をみるなんて絶対無理だろうけど、その高さなんてせいぜい30mぐらい。でも、高所恐怖症の人は富士山の五合目まで車で行ったら白目向いて倒れるだろうか?

 

たぶん、標高1500mまで車でいったって景色を楽しめるぐらい余裕だと思うのですが、これも高いところが怖いんじゃなくて「身の危険を感じるところ」であって、これもカテゴリーとしては「高いところ」じゃない気がする。

 

「グリンピース嫌い」は、はたして美味しいグリンピースを食べたことがあるのだろうか?カテゴリーでかってに分類してないだろうか?

 

「政治家嫌い」は特定の人が嫌いなのか?それとも職業全てだろうか?

 

「韓国嫌い」は国だろうか?人だろうか?大統領だろうか?

 

「自分嫌い」は自分のどこだろうか?全部なのだろうか?

 

「老人嫌い」はお年寄り全部だろうか?

 

 

たしかに比率というか「その多くは・・・」という言い方もあるかもしれないけど、それによって「好き」になれるのに自分の勝手な「カテゴリーフィルター」という先入観によって見落としている、損している、ということもあるかもしれない気するのです。

 

ピーマンが嫌いじゃ無くて「この美味しく無いピーマンがきらい、でも、こっちのピーマンは凄く甘くて美味しい!」と言える人でありたいなと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

でわでわ